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ローカルTime

その地に訪れて最初にするのが
頭と身体の時間を合すんだ。
流れる時間は、それぞれの場所で違うからね。

それは考え方や価値観なども一緒。
ローカルにはローカルのルールや
リズムがあるってことだ。
リスペクトは大地や自然から生まれ
人に映る。そこからしか始まらないんだよね。

今回で8回目ぐらいになる東北
東北の仲間とのMTGの内容は
三年を迎える来年以降、
これまでの繋がりを活かして
何かできないかな?って話。
被災者でも支援者でもなく
それぞれの地域を美容師である
僕らがどんなふうに素敵な
街にしていけるだろうね?って話。
復興景気と人手不足、低賃金と
目が回るようなスピードで
変わっていっていく風景や人。
それなりに復興してるように見えるけど、
さまざまな問題があることは
たまにしか来ないけど僕にもわかる。

「必死でやってます☆貧乏ですけど」
「私達はいっぱい助けてもらったから
自分達も誰かの笑顔になることやりたい!」

「何ができるんだよ」
「現実的に無理だよ」
「ビジネスになるのかよ」
なんて、言われることもあるけど
何も出来なくても想うことや
未来に希望を見つけることは
大切なことなんだ。たとえ
どんなに小さなことでもね。

震災を通じて知り合った繋がり。
年に一回でもいいんだよね。
会えるだけで幸せなんだと思う。

翌日、陸前高田にある気仙地方の椿を
活かし、地元を盛り上げようとする
人達を気仙椿プロジェクトの人達に
紹介してもらった。

高台に移住区を作る計画は
林の中で自生する椿を失くして行く。
その中でコツコツと椿の苗を植樹したり
移動させる活動をされている及川さん。
「何十年後も同じような風景を
子供達に残したいからね。」なんて
言いながら椿の殻に色をつけ
いいだろう!って笑顔でご挨拶な素敵な人。
案内された近くの神社には、日本最大、最古の
樹齢1400年の椿の木があった。
三面に広がる椿の木は氏神のような
たたずまいをみせるんだ。感動だった。

その後、津波でも流されなかった松林の
中にある食堂でお昼ご飯を一緒に。
地元の人が声あげて、身体動かさないと
何にも変わんないよね。なんて話を
聞きながら食べる海鮮ラーメンは
特別に美味しかったんだよね。
松林からのぞく海も食堂の
おばちゃん達も最高だね。

その後、椿オイルを抽出する工場に。
簡単に機械でやるもんだと思ってたら
完全な職人技。操作を間違うと機械が
壊れるらしい。抽出した椿油は
丁寧に濾過を繰り返し気仙椿油が完成する!
ホヤホヤの椿オイルは手につけると、
あっと言うまに馴染みサラサラになった。
職人の人との話で
「この機械は大阪で作られた日本に
たった一つの特別なモノもなんですよ。」
って嬉しそうに教えてくれた。
何だか嬉しくなる?
年々少なくなってる椿の問題や
年に数えれる程度しか稼働できない
から技術も習得しにくく、継承しにくい
から、今では気仙椿を絞れる人は
一人しかいないそうなんだ。
日本椿の再北限にできる良質の椿なのにね。
みんなで守っていければいいね。
なんて話から山に自生する椿は鳥や
動物達が広げてくれたとの話を聞いた。
知らないことばかり。
僕の中の日本がまた増えたみたいで嬉しい。

最後に訪れた震災当時、
陸前高田市長だったお家☆
裏山に椿がいっぱいあって
まさに動物達が運んだように点在するように
椿の木が大きな杉の間に生えていた。
そして家のすぐ裏にある大きな椿の木は、
枝が伸びて2本の木を繋いでいた。
まるで人と人が手を繋いでいるかのように。

素敵な散策の後、お母さんが作ってくれた
「がんづき」と言うケーキをいただきながら
いろいろあるよね。って笑いながら
メローでピースフルな時間を過ごした。

旦那様が亡くなり、お婆ちゃんと二人で住む
この家にいろんな人が来てくれるのが嬉しいよ。
って言うお母さん。人が集まるのはいい。
優しいからだよ。なんて言葉の後に
「僕もこの家に住むよっ」て
言いそうになるくらいにね?

帰る間際に集まったみんなで記念写真。
じゃあねって、みんな帰った後に
帰り支度をしているとお婆ちゃんに
呼び止められ
「これはね、私が若い頃、大阪にいって
お手玉の大会に出た時に、おみあげに
生地を買って作ったものだからあげる。」
って、お手玉をもらった。
嬉しくて嬉しくてハグしちゃったよ。

裏山の椿の苗木を頂戴して、
昨日サロンの鉢に植えました。
何十年後、この椿の木が花を咲かせる頃
今回の東北での出会いを伝えます

岩手のみんなありがとう〜??
またいくよ。必ず。